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本願寺に転派をしてから、400年。開基からは、1000年以上もの歴史があると言われています。旧の本堂は、木造葭葺平家建てでしたが、濃尾大震災や伊勢湾台風などの自然災害のため、損傷。やむなく平成5年に解体しました。現在は、寛永元年(1624年)に、本山より下付された木佛尊像を大切にお守りしています。 |
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伊勢の住人・常光は、年若くして出家をし、比叡山で、日本天台宗の開祖である伝教大師最澄の弟子となり、天台宗を修めました。その後、山を下りて、現在の愛西市諸桑に至り、安住の地として、草庵を営んだそうです。そして、天長3年秋には、天台宗常光寺と号し、仏像を祀り、自ら開基となったのだそうです。
その後、天正3年(1575年)常光寺第26代明圓は、長島の合戦で、教如上人を助けて、本願寺に転派。浄土真宗の布教活動に務めました。また、本山直末となり、現在の満成寺の開基となったのだそうです。 |
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満成寺の本堂は、約400年前、鉋のない時代に建てられた木造葭葺平家建68.0坪(畳数48)天台型内陣の6間四面の建築物でした。濃尾大震災で倒壊した折、四面を改造し、8間四面としたものの、南海地震で半壊。再度建起し、補強をしましたが、さらに伊勢湾台風で被災をし、平成5年、やむなく解体をするに至りました。(写真は、佐織町史より) |
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満成寺裏にある小水路を整理していたところ、天保9年4月4日、土中から、大きな樟の丸木舟とともに、仏像・土器・古銭・網鐘などが発見されました。現在も、満成寺では、舟の一部を所蔵しています。そのときの発掘については、「尾張地名考」および「尾張名所図会」に輯録されています。 |
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●名鉄津島線津島駅から約1.8km
●ヨシヅヤ津島本店から北へ約500m |
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間口x奥行 |
面積 |
永代使用料 |
年間管理料 |
1.00mx1.00m |
1.00u |
380,000円 |
6,000円 |
1.50mx1.00m |
1.50u |
570,000円 |
8,000円 |
1.18mx1.71m |
2.00u |
760,000円 |
10,000円 |
1.48mx2.03m |
3.00u |
1,140,000円 |
15,000円 |
2.36mx1.71m |
4.00u |
1,520,000円 |
20,000円 |
2.00mx2.50m |
5.00u |
1,900,000円 |
25,000円 |
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